| 講 師: 重里 俊行 氏 (しげさと としゆき) 大阪産業大学教授 | |
| 1950年大阪生まれ。慶応大学卒業後、同大学院を修了。1982年フルブライト・フェローとして米国ハーヴァード大学経済学部研究員。1991年慶応大学教授。1995年「道頓堀すし半松五郎」店主。1998年大阪産業大学教授に就任。ラジオ大阪「おはようジャーナル」常任解説者(毎週水曜日担当)。各種の企業・業界・団体で講演活動中。
著書: 『日本経済分析のフロンティア』(東洋経済)/『人生出たとこ勝負』(ごま書房)/『脱常識のすすめ』(AG出版) など |
|
この間、市民フォーラムでは介護保険をテーマにした連続シンポジウムを開いてきましたが、少し視点を広げて、「いま面白いテーマ・人」「議論しなければならない課題」をシンポジウムで何回か取りあげてみたいと思います。
新企画第1回は深刻化する大阪経済の建て直しをめざして、市民フォーラム発足時からの助言者である重里俊行さんに講演をお願いしました。
[文責・事務局]
大阪経済の活性化というテーマをもらっていますが、結論から言うと、ほぼ絶望に近い状態です。【笑い】昔は大阪は「天下の台所」と言われましたが、今は「火の車」ですね。
長者番付は雄弁
先日、長者番付が発表されましたが、上位100人のうち大阪府在住者は僅か5人。京都・兵庫を合わせても、近畿圏は10人だけ。一方、東京は57人、神奈川・千葉を合わせると67人、実に首都圏が3分の2を占めているわけです。
皆さんは、番付に載るような超金持ちは普通の市民生活と関係ない、と思っているかもしれませんが、山が高ければ、五合目も高く、裾野が広いんです。地域の経済力の違いが番付にハッキリ表れています。
このまま行くと、大阪は日本で一番貧しい人が多い町になりかねません。どうしたらいいかを考える前提として、日本経済の基調が大きく変わっていることを知っておかなければなりません。
時代は変った…成長と成熟の違い日本経済の基調は1960年頃から約30年間は「成長経済」でした。しかし、1990年頃から「成熟経済」に変わりました。成長と成熟、1字違いだが中身は全然違う。
成長経済は「個人が努力しなくても変化を体験でき夢が実現する」時代でした。急流に流される葉っぱのようなもので、何もしなくても次々と変る風景を見ることができた、向こうから変化がやってきた時代です。1960年代には、一介のサラリーマンが乗用車を所有するなど考えられなかったのに、いまはそれが普通になっている。「憧れのハワイ航路」という歌が流行ったことがありましたが、今は、ハワイより城崎の西村屋で泊まる方がお金がかかる。想像もしなかったことですよ。
1960年代の大阪は、九州や四国からの集団就職の目的地でした。この会場の中にも「るり丸」や「くれない丸」で大阪に来た人がおられるかもしれませんね。天保山は今はジンベイザメが泳ぐ海遊館で有名だが、1960年代は現金を求めて人が集まったんですよ。大阪は現金収入の確実な都市だったんだな。
冷え込みのデフレ・マインド
一方、成熟経済は「河口の淀んだ水面に浮かぶ葉っぱ」のようなものです。変化がなく退屈な時代、気がつけば満潮で押し戻されている。変化が欲しければ自分で泳ぐしかない。
なぜ成長経済と成熟経済の違いを強調するのかというと、経済の基調は10年前から変っているのに、いまだに成長経済の古い時代の発想しかできない人が多いからです。
成長経済では市民の経済行動はインフレ・マインドです。早く買わないと値上がりする、品切れになるということで、早い者勝ちの時代でした。成熟経済になるとデフレ・マインドに変わります。少し待てば値下がりする、慌てて買うな、という時代です。事実、カシミヤ100%のコートはかつて30万円したのに、最近は6万円で手に入っちゃうんですな。
競走から勝負へ
成長経済と成熟経済とでは競争の形も変わります。成長経済の競争は競走(race)でした。
1着でなくても賞品や栄誉があったのです。少なくとも「自己ベスト」を出すことはできる、敗者のない時代でした。
成熟経済の競争は勝負(game)、勝か負けるか、です。僅かな差で競り勝って、それを持続することが求められる時代です。
ところが、大阪は東京にずっと競り負けている。それにしても大阪は汚い町ですなあ。
大阪港、あれは海とちゃいまっせ。ドブですわ。現金収入の保証がなければ、大阪は外から人が来る町ではないですよ。
どうしたらいいか。
初めにも言いましたが、活性化の決め手はない、あれば実行してますからね。【笑い】
少子高齢化がすすんでいくなか、サラリーマンが元気がある間に、自分を守るしかないでしょう。5%の失業者への対策も必要ですが、失業していない95%のサラリーマンのことをもっと考えないといけない。いつ失業するか分からないというのは不安なものです。雇用の維持、労働条件の確保など、労働組合の役割をもう一度発揮することが求められていると思います。【拍手】
30年後を描けるか
稲見:決め手はない、という結論ですが、大阪で雇用創出しやすい分野があれば、示唆していただきたいのですが。
重里:衰退した30のアメリカを再建したのはベンチャービジネスでしたね。しかし、ベンチャービジネスにも蓄積が必要で、今日明日というような速効性がない…。大阪の失業は深刻です。世帯主の失業率も高いし。東京に比べて大阪は商業デザイン・工業デザインの仕事・職が乏しい、拡大が必要な分野ですが…。
30年後に実現する夢を描けるかどうかですね。その夢を皆が支持して夢を実現させるのです。公民権運動を始めたキング牧師の夢は途方もないものでしたが、皆をひきつけて今は揺るぎない制度になっている。そういう大阪の夢…。タコ焼きと吉本だけでは外から人は集まってきませんわ。
稲見:議員となって仕事ができるよう、私も勉強を続けたいと思います。どうもありがとうございました。
| 市民フォーラム 第1回 大阪経済の活性化 (1999.05.31) |