講  師: 管 源太郎 氏 (かん げんたろう)  (子どもの権利条約ネットワーク運営委員)
 1972年東京生まれ。子どもの権利条約ネットワーク運営委員会。中学校3年生で不登校になる。89年5月・高校中退。9月大学入学資格検定合格。12月・「子どもの権利条約」が国連で採択。90年5月・10代に呼びかけ「子どもの権利条約の批准を求める10代の会」を結成。代表となる。91年11月・条約と子どもの権利に関する情報を収集・整理・提供するためのセンターとして「子どもの権利条約ネットワーク」を設立。95年6月・「子ども権利条約に関する自治体アンケート調査や職員からのヒアリングを行い、条約の広報や児童育成計画などの地方自治体による施策を研究する(明石書店『自治体でとりくむ子どもの権利条約』参照)。11月・条約実施の市民による検証と子どもに関わる市民団体・NGOの交流を目的に、「子どもの権利条約フォーラム’95」を呼びかけ、事務局長として準備をすすめる(93年以降、毎年行っている)。

市民フォーラムでは介護保険から視点を広げ、「いま面白いテーマ」「聞きたい人」「議論しなければならない課題」で新たにフォーラムを始めています。3回目のテーマは教育、講師は菅直人さんのご子息で96年秋の総選挙の際に私と一緒に歩いて応援していただいた菅源太郎さんです。

[文責・事務局]


    


教育については、自分や子どもの体験があり1人1人の思いがあって、議論はたくさんあるのに、なかなかまとまりません。しかし、大学生が分数の計算ができないとか、学級崩壊という現実があり、議論の段階ではなく手を尽くす段階だと感じています。


不登校の現実

私の不登校体験は中学3年の時なので、今から12年前です。その頃も、かなり不登校がありましたが、現在、高校も含めて@学力がつかない、A不登校(年に30日以上の欠席)、 B中途退学、という現象が増加しており、中学の不登校は10万人以上といわれています。

不登校に対して「学校外」を積極的に指向するむきもありますが、一方で登校しやすくするための学校改革が政策的課題だと思います。


教育への投資効果

学校にはたくさんの税金が使われていますが「ムダ使い」という批判はあまりありません。また、10年ほどまえから偏差値に代る評価として内申重視や観点別評価、総合教育ということがいわれています。投資効果が上がっているのかどうか、評価の方法が正しいかどうか、その効果が表れるのは時間がかかるうえ測定手法もむつかしいため、子どもが通える条件が整備されているかどうかで、評価する傾向があります。

観点別評価には、たとえば、分からなくても手を上げることが「意欲」として評価されるなど疑問もあります。内申重視は中学生活に重くのしかかります。

高校によって内申の比率を変える(内申のみ、試験のみを含む)べきだし、大学受験資格を年齢だけにすべきです。


日本社会のパスポート

教育は自立のために行なうものですが、自分が思っていることをキチンと表現できなければ自立のステップにも上れません。

学力低下がすすんでいるのは、学力ではなく高卒・大卒という肩書が日本社会のパスポートになっており、中学・高校はパスポート取得のためのガマン期間になっているからです。

中卒でちゃんとした仕事に就ければ、高校進学以外の選択肢が広がります。しかし、現実には、たとえば理容師・美容師の国家試験は中卒では受けられません。学力ではなく高卒という肩書を要求しているのです。このような国家試験は改革する必要があります。


学校にしかできないこと

教育について多くの議論は、教育=学校という発想に止まっています。学校がすべてのニーズに応えなくてはいけない、というわけです。しかし、現実には新しいニーズには対応しきれないし、基礎学力も落ちていく、という虻蜂(あぶはち)取らず(とらず)の状態になっています。

学校で最低限やるべきことは何かを再定義することが必要です。

たとえば、運動会・文化祭・修学旅行などは学校がやらなくてはならないのでしょうか。これらのイベントには準備に時間がかかりすぎ、教科教育が圧迫されています。入学式・始業式などの式典も退屈千万です。

音楽や美術は学校でしかできないのでしょうか。多様な興味をもつ子どもたち全員に満足できるものを提供することはできません。

「読み書き算盤(そろばん)」という基礎学力を子どもに保障するのが学校の最低限の役割だと思います。また、高校進学以外の道を選択できるよう条件整備する必要があると思います。


学校を「合校」に

学校は美術室や調理室、グランドやプールが完備している社会資本です。しかも全国に立地しています。保育や高齢者、防災など地域の「合校」として活用すれば…、たとえば給食の位置づけも変るでしょう。「合校」を学校にも使う、ということですね。

ところで、少年法の改正(少年審判に検察官を入れる)は今国会では見送りのようですが、しっかり処罰すべきだという人も、少年法の理念どおり保護すべきだという人も、子ども自身が選択し責任をとるという視点が欠けているのが、教育の議論と共通しています。


あなた何年生?


会場から:不登校の時に山や川に行けば自分の救いになっていたと思いますか。

菅:私の場合、家におれば母と顔を合わせ母がイライラするので、父の言葉に従い出歩いていました。自然の中に行くことはなかったから、人によるでしょうね。これはわが家の事情ですが、父に連れ回されたこともあります。父が会議に出る時は「これを解いとけ」といって問題を出していきました【笑い】。高校に行きましたが中退したあと、日本社会が年齢ではなく「あなた何年生?」と聞く社会であることを痛感しました。


会場から:市民が作るチャータースクールという試みがヨーロッパにありますが。

菅:面白いと思いますが、今日言いたかったのは公教育は柔軟な構造を持つ必要があるということです。


会場から:子どもが中学で不登校になって母親は半狂乱なのに、先生は「来なくて結構。卒業証書は渡します」。高校も1学期だけで中退しました。でも「18歳になったら運転免許を取る」といって朝6時から郵便局でアルバイトしながら教習所は欠かさず通いました。今は大検の準備中ですが、公務員の受験資格から学歴を撤廃すべきだと思います。子どもの不登校を今ふり返ると、TVやマスコミの影響が大きかったと思います。

菅:TVの影響は大きいと感じます。教育とマスコミについての議論が必要ですね。


稲見:自分の教育体験を含め、教育政策を考えたいと思います。








 市民フォーラム 第3回   自立のための教育 −私の不登校体験からー  (1999.07.28)