講  師: 辰野 勇 氏 (たつの いさむ)  (株式会社モンベル 代表取締役社長)
 1947年生まれ。大阪府立和泉高等学校卒。1969年ヨーロッパアルプスアイガー北壁日本人第2登攀、マッターホルン北壁登攀。1970年日本初ロッククライミングスクール開校。1975年第3回関西ワイルドウオータ大会優勝。1994年関西ニュービジネス大賞受賞。起業家大賞受賞。1995年日本ニュージビネス大賞受賞。通商産業大臣賞受賞。

 ネパールヒマラヤ、トリスリ川、マルシャンディ川、セティ川などをカヤック日本人初下降。日本アルプス黒部渓谷源流部より日本海までカヤック日本人初下降。北米大陸コロラド川、グランドキャニオンをカヤック日本人初下降。中米コスタリカのジャングルを流れる川をカヤック日本人初下降。

著書: 『社長室はアウトドア』(山と渓谷社)/『カヤック&カヌー入門』(山と渓谷社)/『エンジョイ カヌーマニュアル』(千早書房)/『KAYAK』ウイリアム・ネーリ著 監訳(山海堂)

ビデオ: 『野遊び入門』(NHK)/『北山川』(NHK)/『NHK教育講座カヌー編』(NHK)


 2000年最初のフォーラムは、モンベルの社長をしておられる辰野さんにお話をうかがいます。「モンベル」は、若い方やアウトドアが趣味の方には、おなじみのブランドだと思います。日本経済の閉塞状況を突破するため、ベンチャー企業の活躍が期待されるところですが、25年前にゼロから会社を設立し、今や年商170億円の企業に育てあげた起業家である辰野さんから学ぶことは非常に多いです。 [ 司会 ・ 稲見哲男 ]


    


 僕がネクタイ背広姿になるのは年にせいぜい5回くらいで、今日はなんだか落ち着きません。実は昨日帝国ホテルで経営者の方に相手に講演をして、そのままの格好なのです。というのも、以前ショートパンツとTシャツで高級ホテルの経営者懇談会に出席した時、ロビーでじろじろ見られたもので(笑)。


アイガー北壁登はん記との出会い

 そもそも会社を始めたきっかけは、16歳の時『白い蜘蛛』という本に出会ったことです。この本は映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』のモデルにもなった、ハインリッヒ・ヒラーのアイガー北壁登はん記です。ちなみに、「白い蜘蛛」とは北壁の中ほどにある雪原の名前で、雪崩れが起こる難所のことです。これを読んで僕は2つの誓いを立てました。一つはアイガー北壁に登こと。もう一つは山に関係した仕事を自分でしようということでした。仕事を始める年は28歳と決めましたが、特に理由はなく、高校生なりに早くも遅くもない年齢だと考えたのだと思います。学校から帰って、さっそく「アイガー北壁」と書いた貯金箱を作りました。ここらへんは大阪の子供ですね。「先立つものはカネ」とちゃんとわかってた(笑)。

その後、中谷三次さんというすばらしい登山家と出会い、21歳の時アイガー北壁の登はんに成功しました。日本人としては2番目でしたが、最初の時は一人が亡くなられており、二人とも生還したのは僕たちが初めてでした。個人的には最年少ということでもありました。非常に厳しい登山で、成功したら山のことをさっぱり忘れて1週間ぐらい保養地でゆっくり過ごそう、などと言いながら登ったのですが、頂上に立った時、そこからアルプスの山々が一望できました。その中に燦然とマッターホルンがそびえ立っているのを見た時、保養地の話はどこへやら、二人顔を見合わせ「今度はあれに登ろう」と言いました。山登りというのは、常にハードルを見つけて、それを超えていくものだとつくづく感じました。

 もう一つの仕事の方ですが、本に出会ったために僕には大学に行く理由がなくなってしまいました。受験の時には、信州大学を受けに行くとウソを言って穂高に登り、名古屋のスポーツ店に就職を決めて帰ってきました。その後化学商社に移って繊維部で産業資材を担当しました。航空宇宙産業で使うようなハイテク繊維も扱い、業界の川上から川下まで見ることができました。

 それまでは山関係の仕事と言えば、山を愛する仲間たちが集まる専門店を開き、その横には雰囲気のいい喫茶店があって・・・などと考えていたのですが、この経験から素材に関心を持ち、「ものづくり」もやろうと思いました。実際に登山している時も、寒さや雪などの悪条件の中でこんな素材で作った登山用品があったら、と思うことも多かったので、それを自分で作ってやろうと思ったわけです。


実行すること自体、生きるに値する

 娘は僕のことを脊椎で考えている、と言います。これはいちいち大脳まで持っていって考えず、脊椎あたりで本能的に考える、ということだろうと思いますが、僕は考えないわけではありません(笑)。ただ、いわゆる勉強の得意な人は、事前に物事を頭の中で考えて、困難が多いと計算すると、「できない」と結論してしまうことが多い。僕は、例えば崖の上に美しい花があってそれが欲しいと思えば、崖の上に行けるかどうかを考えずに、とにかく出発する。途中に川があれば、どうして渡ろうかとその時に考える。急な崖をどう登ればいいか、実際に崖に触れてから考えるわけです。

 とにかく実行するなら、結果として目的が達成できるかどうかはさほど大きな問題ではない。頭の中で考えた「結論」と違って、自分のやろうとしたことを実行し、どうすればいいか試行錯誤したプロセスはそれ自体生きるに値する、と思うからです。


リスキーな生き方が前進を生む

 山登りは危険です。僕たちは警戒心を十分に持っており、もちろん準備は入念にしますが、それでも危険なことに変わりはありません。実際に多くの事故に遭いました。何人もの仲間が命を落とし、僕の腕の中で息を引き取った仲間もいました。なぜそんな危険なことを、と言われます。僕にとって、「冒険」とは人のしないことをすることです。命がけであっても、とにかく誰もしないことをしたい。危険を顧みず、限界を広げるために挑戦している人たちが各界にいます。ジェンナーも華岡青洲も、愛する家族まで危険にさらして医学の新しい領域に挑戦しました。そういう先駆けとなった人たちがいたからこそ、少なくとも人類にとっての前進があったのだと思います。

 米国の学者によると、危険を顧みず、誰もしないことをすることに価値を見出す人が、人口の0.3〜3%いるそうです。一方、北海道の獣医さんで映画『キタキツネ物語』を企画した竹田津実さんの話では、ある日蟻の行列を見ていて、働いている蟻は2割で、残りの8割は怠けていることがわかったそうです。ただし、働き者だけを集めるとその内8割は怠けるようになり、逆に怠け者だけを集めるとその内2割は働くようになる。だから、「辰野くんも会社に怠け者がいたからといってそう怒るなよ」と(笑)。

 もちろん、その2割をどうにかして増やそうと人間の場合は考えるわけです。しかし、日本はそれを10割にしようとしたのでしょうか。国民100%を働き者にする。逆に、リスキー組の0.3〜3%は何をしとるかわからん変わったやつだ、ということで排除する、こういう教育をしてきたのではないでしょうか。100人いたら100人とも、怠けずまじめに勉強しろ、人と違った変わったことはするな、というわけです。

 僕は国のある行政機関のベンチャー支援を考える諮問委員会に参加していますが、支援する行政の側にそういった教育を受け、その中で成功してきたエリート官僚がいる。そういう人たちに、人と変わったことをするというリスクを引き受けることができるのか、疑問に思うこともあります。


知恵さえあれば会社はできる

 僕は、数年前「ニュービジネス大賞」という賞を、当時の橋本通産大臣にもらいました。賞金もありました。もちろん受賞は光栄だし、今挑戦しようとしている人たちの励みにもなると思います。しかし、僕のような既に成功した起業に賞金をあげるより、現在苦しい中で挑戦しているにあげたら、という気がしてなりません。

 海外でモンベルをベンチャーカンパニーだと言ったら変な顔をされます。創業25年、業績も順調な企業はベンチャーではないのです。明日どうなるのかもわからない、できたての企業、それがベンチャーカンパニーであり、あえてそんな可能性に賭けて金を貸すのがベンチャーキャピタルなのです。確実に成長が見込まれお金を返してくれる保証がある、担保もある、そういう企業に金を貸すのではないのです。

 もっとも、お金があればいいか、というとそういうわけでもありません。実際に会社を始めるのにそんなにお金は要りません。僕が会社を設立した時には、払込資本資金が手続上必要なので母親から200万借りましたが、最低限必要な期限が過ぎたらそのまま全額返しました。よく退職金が1000万あるからそれで会社を始めたい、などと言う人がいます。しかし、まとまった金を手に入れ始めた人は、それを使い切るまで仕事をことを考えません。まず事務所をどこに借りよう、どんな備品を買おうか、そんなことに金を使うことだけ考えるのです。そして、金がなくなってようやく「何をしようか」ということになるのです。なまじ資金があった方が、大切なことを考えるスタートは遅れる。行政の諮問委員会でも、よくコンサルタントなどが会社設立の援助などとおかしなことを言うのですが、資本は結局自分の知恵しかありません。


トップは「結果」を示すのが仕事

 夜間中学を卒業して入った会社で米国留学生に選ばれ、そこから大企業のトップにまでなったある人が、「三人のレンガ積み」の話をしてくれました。三人がレンガを積んでいる。その内の一人に何をしているのか聞くと「見ての通り、レンガを積んでいるんです」という答え。二人目に聞くと「レンガを積んで壁を造っているんです」。しかし、三人目は「レンガを積んで壁を造り、それがやがて大聖堂になるんです。それを子供が見て喜ぶ顔が見たい」と答えた。同じくレンガを積む仕事をしていても、三人の人生の質は全く違う、と言うのです。一人目は単に言われたままにしているだけですが、三人目には大聖堂という「結果」がある。牧さんは、社長としての仕事は社員に「結果」を思い描かせることで、単にレンガを積めと命令することではない、と言います。どうしたら日々の売上を増やせるか、コストを減らせるかばかり考えて、なぜその仕事をしているのか、どこへ向かおうとしているのか、を考えなければ、まさに「仏を作って魂入れず」です。

 ある時モンベルの展示会に来られた方から「これからどうしたいのですか?」と聞かれました。あまりにも漠然とした質問だったので、「あなたは?」と聞き返すと、その方は自分の経営する会社をせめて四国で一番にしたい、と言われる。それでぼくは世界で一番になりたいと答え、さらにどんなことで一番になりたいのかと聞くと、その方は売上だとか言っていました。それに対して僕は世界で一番幸せな会社にしたい、と答えました。「一番幸せ」と言っても誰かに勝ってそうなるわけではない、自分自身がそう思えるかです。そして、永遠に追求すべき目標なのです。


どんな発想でもいいから実行を

 ある夏商品がダブついて困っていたのですが、なにげなく世界地図を見るとオーストラリアが目に入りました。オーストラリアは日本と逆で今が冬のシーズンじゃないか、と思い、さっそく飛び込みました。着いても何のあてがあるわけでもありません。イエローページでそれらしい店を片っ端から電話しました。オーストラリア人は例外なく親切で、とびこみで行っても会って話を聞いてくれます。商品も誉めてくれるのですが、だた誰も買ってくれない(笑)。もっとも関税とか輸入枠だとか難しい問題があったわけで、それを知らずに行った僕たちも僕たちですが、それでも他の店を紹介してくれたりして、20件目くらいでやっと買ってくれたチェーンがありました。大した額ではなかったのですが、それ以来取引が続いています。オーストラリアには世界の標準と南北が逆になっている地図がありますが、それと同じように反対からの発想でもいい、とにかく実行してみることだと思います。

 僕には「失敗」という言葉はありません。「不都合」は沢山あります。でも「失敗」は完結していて、どうしようもない。「不都合」だと考えたら、どんなに厳しいものでも挑戦し、それをクリアしようと努力できます。また、情報というものは自分からまず発信してみなければ、集まってもこない。このような姿勢が大切だと思います。


義理と人情は別物

 さて、ここで商売の話になりますが、みなさんに儲かる方法をお教えしましょう。東京でタクシーに乗ったとき、運転手さんから「近ごろ儲かりますか?」と聞かれました。東京でもこう聞くんですね。「ぼちぼちですわ」などと答えていると、今度は「儲かる秘訣をお教えしましょう」と言われました。ニュービジネス大賞の僕にですよ(笑)。「教えて」と言うと、「3つのカクです」。一つは「汗をカク」、二つ目は「恥をカク」、まあここまではわかります.。三つ目は何だと思います?」運転手さんはにやりと笑って「義理をカク(欠く)」。「江戸っ子が義理を欠いちゃあ、オシメエよ」なんて言うのはわかりますが、これには驚きました。

 確かに「義理人情」とよく言います。ただ、「義理がある」を英語に直訳すると“I owe you.”(「私はあなたに借りがある」)です。借りたものは返す義務がある。しかし、人情は全く違います。人情というのは見返りを期待しないものです。本来全く違うはずの義理と人情を四文字熟語でセットにするのはおかしいのですが、僕の経験では東京の方が一緒くたにしている。例えば、東京の会社に商品を売りに行って一つ1000円で売りたいと言うと、相手は800円ならと言う。それで、じゃあ他に行きます、と帰りかけると、大阪では「またええやつ持ってきて」と言うところを、「ちょっと待ってよ。薄情じゃないか」。それから900円でどうかと交渉してくるわけです。それをおかしい、と東京の人に言うと、「自動販売機みたいな売り方をされるんですね」と言われました。10円でも足らなかったら売ってくれないのか、と。でも、人情があるなら10円安くしろ、前に人情をかけたから返してくれ、というではそれは「契約」じゃないですか。大阪人にだって人情はあります。下町に行けば東京どころじゃないですよ。困っている人がいたら、これでジュースを買ってと10円あげます。でも、それは商売と関係ないヒューマンな関係です。それをいつか返せ、とは言わない。

 この義理人情を一緒くたにする東京の感情は、ボーダレスの時代には通用しないと思います。うがった見方をすれば、東京には政官財の中枢が集まっているので、それらがもたれ合いの関係をつきってこのような感性を生んだのではないかとも思います。異なった国の異なった価値観を持った人たちが国境を越えて取引する時代に、仲間内のもたれ合いがうまくいくはずがありません。逆に、大阪人はそもそもお上をあてにしていないので、もたれ合おうと思っても仕方がない(笑)。


集中力、持続力、判断力、そして決断力

 有名進学校の偉い先生が、頭のいい人間には共通点があると言っています。それは、集中力、持続力、判断力があることだそうです。人間の能力に限界がないというのは、この三つを得るための方法が無限にあるということだ、と言うのです。僕は学校の成績はとても悪かったけれど、この三つの能力には自信があります。それは登山の経験で磨かれたのだと思います。山では、ほんのわずかの集中力の途切れ、持続力の低下、判断の遅れが即命取りになるからです。ただ僕の場合それが学校の勉強には向かわなかった(笑)。

 僕が顧問弁護士をお願いしている人には、これに「決断力」を加えてくれました。「士」がつく職業、プロフェッショナルの良し悪しは判断してくれるかどうかだと思います。客が困って専門能力を頼りに来ているのに、ああでもこうでもないと結論を出さず、どれがいいですかと客に聞くようでは、何の価値もありません。どう治療すべきか決めてくれないのなら、病院に行ってもしょうがない。僕は顧問弁護士の判断にはとても助けられています。もちろん、状況も知らせずに判断だけを求めることはできないので常にコミニュニケーションはとっているし、経営責任は全て僕にあるわけですが、相談したことは必ず「こうしましょう」と決断してくれます。

 社長業も、先ほど言ったような方向を示すことと、やはり自分で判断することが大切です。ある席で、下請け企業の社長さんが親会社が無理な要求をしてくるがどうしたものか、と話しかけてきました。詳しい状況はわからないけれど、方向としては親会社をあてにせずにやっていくか、要求に応えるか、いっそ会社をたたむか、です。どうなさるおつもりですか、と聞くと、独立してやっていくのは不安だし、このまま続けるのも大変だ、社員が思うように働いてくれなくて、などと言っているのです。どうするのか決めるのが社長でしょう。社長がこうなら社員もどうしていいかわからないですよ。こうするから、みんなもそのために努力してくれ、と言う社長がいない会社は不幸です。


夢は誰にでも追求できる

 今の若い人たちは夢を持っていないのではないかと感じることがあります。先日小学校で子供たちを相手に話をしました。その後で子供たちの感想文を送ってきてくれました。こういう文章を読むのは大好きで、今も持ち歩いて暇を見つけては読んでいます。その中に「長いこと自分の夢を忘れていたけど、お話を聞いて夢を持って生きなくてはいけないと思いました」と書いてある感想文がありました。夢を取り戻してくれたのはうれしいですが、小学生ですよ。仕事など若い人と話しても同じです。雑談中に夢は何ですか?と聞くと「そんなものないですよ」というのが大抵の答えです。でも、よく話してみると「そう言えば学生時代ユーラシア大陸横断の計画を立てたことがあるんですよ」などと言うから「すごい夢があるじゃなですか」と。

 幼稚園でお話した後、園長さんから「どんな夢をお持ちですか」と聞かれたので、「キャンピングカーで日本を一周したいですね」と言うと、「じゃあスクールバスが一台あるので差し上げますよ」と言われました。少子化で余っているようで、喜んでわが社のアウトドアセットと交換でいただきました。僕はリタイアしたら夫婦で、程度に思っていたのですが、バスをもらったらさっそく実行したくなります。息子に手伝ってもらって、バスをキャンピングカーに改造しました。今は携帯電話やファクシミリなど便利なものがあるので、仕事用にそれを積み込んで出発しました。鹿児島から北上したのですが、とてもすばらしい旅でした。ついでに全国の支社や取引先回りができ、仕事上も有意義だった(笑)。

 帰ってきてお礼に園長さんを訪ね「園長さんもいかがですか」と聞くと「私にはできません」という答えでした。しかし、よほどのことでない限り「できない」ということはありません。よく聞く「できない」という言葉の裏には、本当はしたいのだけど周囲の環境のせいでできない、という意味があります。ではその環境を変えようとしたのか、というと必ずしもそうではない。本当は何かのせいで「できない」のではなく、自分で「しない」ということを選択しているのです。もちろん、日本一周ではなく、会社で日常の仕事をするのは立派な選択であり、なんら卑下すべきことではありません。僕たちの行動は全て自分の行った選択であり、それを自覚しているかどうかが問題なのです。


障害者との交流を通じて

 僕は障害者福祉活動団体の「青葉仁会」の理事長をしておられる榊原典俊さんと出会い、身体障害者の方をスタッフとして、モンベルの番外品を扱うファクトリー・アウトレットの日本第1号店を開くことができました。ある時、そこのスタッフにカヌーをやりたいから教えてほしいと言われました。最初は大丈夫かなと思いましたが、確かにカヌーは下半身に障害があっても漕げます。吉野川に集まってもらってカヌー教室を開きました。一人がカヌーを漕いでいて、「すっかり障害があることを忘れてた」と言いました。彼のような中途障害者は野原を駆ける夢をよく見ると言います。朝起きてそれができない現実に愕然とする、と。以前は歩けたがための苦悩があるのです。その彼が、水の上でこのような感覚を味わっているのです。

 また、上腕のない男の子がいて、彼があごでパドルをはさんで漕いでいる。その姿を見て、「体を使って漕ぐということはこういうことなんだな」と感心している。上半身には障害がない大人がですよ。比べものにならないほど重いハンディキャップを持った男の子が、大人にアウトドア・スポーツを教えることができる。

 最後にもう一度強調したいのですが、僕は、夢を持ち、最初からできないと言うまえに、とにかくそれに挑戦してみるべきだと思います。鳥が空を飛べるようになったのは、空を飛びたいと思ったからだと信じていますから。

 それでは一曲、僕の笛をお聴きください。――映画『もののけ姫』のテーマ


会場から

会場: 環境問題についてどうお考えですか。山でもごみ問題が深刻だと聞きますが。

辰野: 教育が最も重要だと思います。やはり子供のころから環境についての関心がなければ、行動につながりにくいでしょう。大人は自分たちの身近でできることから始めることが大切だと思います。わが社でも、女性社員をリーダーに「うんち委員会」(笑)を作って野外での排泄物の処理を研究しています。いずれ新製品をお見せできると思います。

会場: まったく個人的な質問ですが、どうしたら辰野さんのように大勢の人の前でしゃべれるようになるのでしょうか。

辰野: 僕も口が達者な方だと思いませんが、とにかく普段使わないことが大切なのではないでしょうか。もちろん、しゃべりたい、人に伝えたいことがあるかどうかは最も重要です。それさえあれば、表現がどうであろうと必ず相手の心に残ります。僕自身人前でしゃべることには慣れましたが、笛を吹くことはすごく緊張します。でも、聴いて欲しいから吹くのです。みなさんの心に残ったでしょうか(笑)。

稲見: 私も自分の思いを伝えようと無我夢中で頑張っている最中なので、今日のお話はベンチャー企業についてだけでなく、私自身の活動においても大きな参考になりました。

 お話の中でファクトリー・アウトレットに触れられましたが、辰野さんは知的障害者の方がスタッフとなってモンベルの製造過程で生じる端切れを活用した、リサイクル・プロダクツにも取り組んでおられます。会場の入り口に展示してあるぬいぐるみやクッションが、その製品です。事前の打ち合わせでの社長室におじゃました時、社員がラフなスタイルで、すごく活気のある職場だと思いました。その時もほんの短時間の打ち合わせのつもりが長時間になってしまい、今日の講演と合わせて時給に換算すると相当な負担をお願いしたかな、と少々不安ですが(笑)。

 辰野さんは、夢を持つ、目標を持つことの大切さを強調されました。もちろん私の第一の目標は当選し、みなさんに約束した政策を実行することです。それに加えて、私も以前家族と一緒に楽器を演奏したいと思い、学校では横笛が得意だったのでフルートを買ったのですが、それっきりになっています。辰野さんの笛の演奏を聴いて触発されたのですが、フルートを人前で演奏できるようになることも私の個人的な公約としたいと思います(笑)。 



    


 市民フォーラム 第8回   大自然に賭けた起業家が夢を語る (2000.01.27)