記者会見の様子
  (写真提供:松野信夫事務所)


  (水俣公民館にて三団体との意見交換)
   写真提供:松野信夫事務所


水 俣 視 察 (2004/12/05〜06)
  
第一日目(12/5)

朝8時35分のJALで福岡空港へ、博多駅から在来線と新幹線を乗り継いで新水俣に午後12時半過ぎに到着、チッソ水俣工場に向かう。在来線の水俣駅の正面に工場入口があってチッソの歴史的位置が窺われる。

水俣本部長(工場長)から工場の沿革や業務内容の概要などについてヒアリング。アセトアルデヒドや塩化ビニール製造過程の触媒である水銀が不知火海を汚染し水俣病が発生した。

現在は肥料よりファインケミカル(約8割)に事業構造を転換し、ピーク時5200人いた従業員も500人弱に減ったが、経常利益も70億円ほどあり、2000年の政府の抜本支援策もあって年間53億円の水俣病保証を賄うことが出来ている。地域経済に何が出来るか、患者さんのアフターケアを充実するため本部制をとっているなどお聞きし、質問とその後工場見学を行なった。

午後2時過ぎに水俣市が建設した資料館を訪問し、関洋一副館長から展示してある写真、「仕切網」や水俣湾の模型で水俣病の説明を受ける。次に副館長の案内で水銀ヘドロを浚渫し埋め立てた58ヘクタールの埋立地と「百間樋門」を見学し、午後3時過ぎに水俣公民館へ移動。

水俣病被害者の会の橋口三郎幹事長、水俣病患者連合の
佐々木清登会長、水俣病患者平和会の井島政治会長や事
務局の方と意見交換。患者団体からは、3日に「新潟水俣病
被害者の会」と4団体で行なった環境省交渉での環境省の態
度に批判が集中した。

「国の責任が最高裁判決で確認されたのに謝罪の言葉も無
い。」「95年に苦渋の判断をし、その政治決着の枠組みを守
りながらその後の地域づくりに努力してきた。」「このままでは
『もやい直し』も崩れてしまう」「数百から千オーダーの未申請
者、高齢により症状が現れた人がおり、国が責任を持った対応
をしないと必ず混乱が起こる」「熊本県のたたき台を前提に是
非政治の場での努力を」など生の声が寄せられた。

午後5時前に「水俣市立明水館」を訪れ、岡元美和子園長と
小嶋道廣事務長から重症心身障害児(者)施設としての説明
を受ける。72年に設立され、胎児性水俣病を含む認定患者
65人が暮らす病院であり療育施設である。

44歳から98歳の方が居られ、医療費は全額チッソの負担、措置費が25万円出ているので患者さんの自己負担はほぼ無いという。2265人の認定患者のうち1530人がすでに死亡され、735人の1割弱が明水園に入所していることになる。待機は30名程度、他の施設で6~70名が待機しているとのことだった。

午後5時半過ぎに宿泊の旅館に到着し、「水俣病出水の会」の尾上会長以下5名の方々から陳情を受ける。未認定の患者270名がおられ、さらに“掘り起こし”をしているとのこと。約1時間、国の認定基準の変更と偏った姿勢を変えるように助力を訴えられた。

引き続いて「協立クリニック」の高岡滋院長から水俣病の病像と認定の新しい診察方法についてレクチャーを受け、午後8時前に第1日の日程を終了した。

『もやい直し』:もともと船をつなぐことや共同でことを行なう意味。人と人の関係、自然と人の関係がいったん壊れてしまった水俣で、水俣病と正面から向き合い、対話し協働する取り組み。


第二日目(12/6)

午前8時に宿舎を出発し水俣市役所へ、江口隆一市長と松本満良市議会議長と意見交換。

市長からは環境モデル都市としてごみの21分別や学校での環境学習の推進に努力していること、来年には総合計画を見直して「エコポリス水俣」「環境と経済の両立」をめざし、リサイクル会社の誘致など「不便さを受け入れるまち」に力を入れることなどが述べられた。

市役所を辞してJRで熊本市に移動、11時から熊本大学の浴野成生教授から約1時間、関西訴訟で最高裁が採用した「水俣病は水銀による大脳皮質が損傷されることにある」とのいわゆる「中枢説」についてレクチャーを受けた。

1956年5月1日の水俣病公式発見以降、68年にチッソのメチル水銀が原因と断定され、アセトアルデヒドと酢酸の製造が中止された。

したがって、急性・劇症の水俣病の判定と慢性になり(後遺症)となった水俣病の判定にはおのずから診断方法の差異が出る。中枢説にたてば「二点識別覚」での診断で相当厳密に水俣病の判定が可能だとの教授の説明に私は強い関心を持った。

午後1時から熊本県庁で潮谷義子知事、上村秋生環境生活部長以下と県の対応策である「今後の水俣病対策について」意見交換。11月29日に県議会で了承され、12月9日に環境省と協議を始めるので、まだスタート地点にも立っていないが、長い間行政責任が問われてきており誠心誠意努力していくことが表明された。

県の対応策は
@水俣病患者等の社会活動支援 
A八代海の環境調査 
B八代海沿岸地域の住民等の健康調査 
C療養費支給  からなっており、
一方、関西訴訟の原告からは12月5日の交渉で、
@公害健康被害補償法の水俣病と認定すること 
A認定基準を見直す 
B療養手当を含めた療養費を95年の政府解決時に遡って
支給する
C緊急措置として県独自ででも来年1月から療養費を
支給する  の要求が出されている。

「たたき台」としては評価しつつ、特別立法など全面的・最終
的解決へ民主党として努力しなければならないと痛感した。
知事との意見交換の後記者会見を行い、
今回の視察の全日程を終了した。

今後、ワーキングチームの役員会を早急に開催して中間的
とりまとめと論点整理を行い、民主党全体での取り組みを要
請していく事になる。


現地視察を終わって (12/7 記)

「水俣病対策WT」としての現地視察は中味の濃いものだった。大阪で「水俣写真展」の開催に関わったこともあるが、資料館で見た写真などの映像と、変貌した百間樋門や埋立地を見るにつけ、水俣の水銀汚染の大きさと水俣病被害者の大変な苦しみに改めて衝撃を受けた。

関西訴訟の原告・弁護団や支える会の方々とお付き合いしてきたが、95年に「苦渋の選択」をされて患者団体の皆さんとの意見交換も貴重な体験であった。国や熊本県の責任を曖昧にしたままの政治決着が「澱(おり)」のように現在まで残っていて、何ができるのか、何をしなければならないか悩みつつ、環境省交渉に臨んだにもかかわらず、“あなた達のことはもう終わったことだ”と言わんばかりの環境省と大臣の態度に持って行き場の無い憤りを感じておられることが良く理解できた。

「熊本県は交渉の前に知事以下全員が起立して深々と頭を下げてくれた。環境大臣はソファーから立とうともしなかった。部長以下との交渉になっても、親分が親分なら子分も子分だ、環境省は堕落した。」と悲しみを込めた発言がとても印象的だった。

熊本県の「たたき台」は中味の評価はともかく、唯一の救いだと思える。環境省がこれを無視することなく、むしろこれを補強・拡充するような姿勢を持たないと、一層の混乱が予想される。「熊本県が何の相談も無く勝手に作った施策で、環境省は関係ない」などと面子にこだわることは論外だ。

「もやい直し」という言葉の裏に深刻な町の中の対立があったことを重く受けとめるなら、関西訴訟の最高裁判決が最後のチャンスと見るべきだろう。

閣議了解を受けた小泉総理と小池環境大臣の誠意ある謝罪を出発点に、新しい診断方法も駆使した判断条件の変更と棄却者の再認定作業、療養手当を含む生活支援、患者団体・住民・NPO・行政一体となった「もやい直し」と町の再生など総合施策を特別立法として構想しなければならないのではないか。

水俣WTで引き続き努力して行こうと思う。


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