第2回稲穂会セミナー 講師:田中秀征氏   (2005/05/14)
  


          



会場から新大阪シティプラザに直行して「稲穂会第2回セミナー」に備える。3時過ぎに本日の講師の田中秀征さんが到着、99年4月から約1年間で10回開催した「市民フォーラム」の第6回目、10月13日に来ていただいて以来だった。

「やっと当選することが出来ました」とお礼を申し上げ、改めて名刺交換をさせていただく。

午後4時に開始、私は挨拶の中で、田中秀征さんが上梓した「日本リベラルと石橋湛山」の中で石橋総理が退陣を決意した昭和32年2月23日のいわゆる“石橋書簡”の一節を読み上げ、紹介に変える。石橋湛山の人となりから始まり、戦前・戦後を貫く言論と政策についてわかり易くお話していただいた。

明治以降の政治家の中で官職を一切持たない、私学出身の初の宰相であり、戦前は言論人として活躍し、戦後、GHQにことごとく抵抗して公職追放も経験し、60歳をはるかに超えて政治家になると言う稀有な才能の持ち主であったこと。

戦後社会の軸・軌道を敷いた政治家、新憲法への思い入れや「日米同盟」と「国際協調」という現在も引き続く“国のかたち”について詳しく講演いただいた。

僭越ながら、湛山と田中秀征さんの「憲法9条観」、どうしても両立しないときに「日米同盟」よりも「国際協調」=国連中心の外交を優先するというのは私の考え方と全く同一と言って良い。改めて確認できたが、湛山が岸信介に勝って第2代自民党総裁に就任し石橋内閣が成立する間に日本の国連加盟がある(56年12月18日)。

当時、湛山は国連加盟について「国連に依存するのではなく支える立場にありたい。軍備・軍事面で加盟国としての義務を果たすべきであり、現行憲法下で可能か研究中だ」と言ったという。国連を中心とする「集団的安全保障」を検討するとの立場だった。

国連憲章第7章第42条では「無法国への軍事的措置」を規定しており、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、加盟国に個別的ないしは集団的自衛の固有の権利を保障している。このことを前提に日本国憲法前文と9条も構想されていた。

しかし、「鉄のカーテン」という東西冷戦が49年の人民中国の建国、50年の朝鮮動乱で一層激しくなり、5常任理事国の対立(拒否権)で国連警察機能が働かず、湛山を引き継いだ岸内閣によって「60年安保改定」へ突き進んでいく。

日本は“経済復興優先”“軽武装”路線を採りながら日米安保条約と「警察予備隊」「保安隊」「自衛隊」を選択してきた。90年代以降、冷戦の終結によってこの国連の警察機能の復活・前進が図られるべきというのが田中秀征さんと私の考え方だ。

国連決議なしに米国は単独主義でイラクに侵攻し、小泉総理はその米国を支持した。「日米同盟」と「国際協調」が両立しない時にこそ、「日米同盟」を選択する自民党、「国際協調」を優先する民主党とはっきり違いを見せて欲しいと田中秀征さんは強調された。

セミナーの始まる前に「リベラルの会」の活動のこと、9条改憲を阻止するための「安全保障基本法」という現実政治と理想・理念を繋ぐものを模索していますと私が伝えたことに応えてくださったのかもしれない。

「国権の発動」としての“海外での武力行使”ではなく、国連の警察機能には現行憲法で参加できるという事であり、湛山の思想(研究中と発言した頭の中)もこれを念頭においていたと言うことだった。

また、政治家の資質としても自分(志)を持つこと=信念を持つことの重要性を強調され、それがなければ客観的な「判断力」は生まれないこと、「判断力」に裏打ちされない「決断力」は「危うい決断」になると言うことを教えていただいた。



          



資料を手元に置くこともなく、レジュメ一つなしでの1時間半近くの講演は非常に意義深く感銘する内容だった。集団的自衛権と国連の集団的安全保障のところは少し難しかったかもしれないが、参加者の方々も満足していただけたと思う。



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 い な み の ひ と こ と