小泉総理の靖国参拝を考える     (2006/08/16)
  

 8月15日は61回目の敗戦記念日、第2次世界大戦で犠牲になったすべての人々を追悼し、二度と誤った戦争を引き起こさないという『不戦の誓い』を新たにする日だと考えている。

すべての人々とは、日本軍の兵隊に限定されること無く、広島・長崎の被爆者、空襲による被害者、沖縄戦の民間人犠牲者、満蒙開拓団や中国残留孤児など日本の侵略・植民地主義によって海外で死亡した人々、戦後のシベリア抑留者、そして何よりも重要なのは日本帝国主義の犠牲になったアジア各国の被害者を思う心である。

この歴史観・戦争観を前提にしないと、小泉総理の靖国参拝は評価が出来ない。A級戦犯合祀だけが問題ではない。靖国神社は明治維新の官軍犠牲者を祭った『招魂社』に始まり、帝国陸・海軍が直接管理した歴史的事実を持っており、今は宗教法人といっても戦前からの誤った歴史観と連続性を有している。

アジアの国々では日本の軍国主義・帝国主義復活への警戒心が予想以上に根強い。これは中国・韓国に限られるものではなく、たまたま視察で訪問していたフィリピンで湾岸戦争後の機雷艇派遣に対する反対デモを見たり、オーストラリア訪問でも強く感じた私の皮膚感覚だ。

戦後61年、戦争の指導者・責任者を排除し、憲法前文と9条によって戦争をしないこと、戦力を持たないことを誓い、はじめてアジア各国の信用を回復し世界第2位の経済大国まで復興・発展してきた大前提なのだ。

日中国交回復交渉で中国は賠償請求権を放棄したが、周恩来首相が国内各地に党幹部を多数派遣して説得した根拠は『日本人民も帝国主義戦争の犠牲者、悪いのは一部の軍国主義者』という友好姿勢だった。その日本が、好戦的な米ブッシュ政権と運命共同体的な『戦争をする国』『戦争を出来る国』に変節している象徴が靖国参拝なのだ。

昨年は大阪高裁判決に配慮して背広姿で本殿に参拝せず記帳もせず、賽銭箱に小銭を放り込んで『私的参拝』を強調したが、今年は開き直るように敗戦の8月15日、アジアの国々にとって特別な日(解放記念日)に文字通り挑発的な参拝を強行した。

9月に辞めることが決まっているとはいえ、アジア外交に責任を持つ総理大臣として全く無責任と断じざるを得ない。私たちはこのことを奇貨として、自民党総裁選を注目し、今後の日本の国のかたちを考える機会としたい。


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 い な み の ひ と こ と