第一回は、解放同盟加島支部書記長に講師をお願いし、大阪市のまちづくり活動支援制度も利用して、20年近くに努力した経験を教えていただきました。
第1回の勉強会は、加島の駅前でフェスティバルを開催されるなど、町内会の方々を含めて協議会を進め、積極的に街づくりに取り組んでいらっしゃる部落解放同盟書記長の西岡さんにお話をうかがいます。以下の文章は、「加島地区『街』づくり実行委員会の設立と概要」について、西岡さんのお話をまとめたものです。
目 次
○加島地区の概要
○「加島地区『街』づくり実行委員会の成り立ち
○実行委員会の役員構成
○活動の概要
○大成功のまちづくりフェスタ
○住民参加の公園づくり
○まちづくりから見えてくるもの
○これからの展望
○お話の場
加島地区の概要
昨年実施された国勢調査で情報は入っているかとは思いますが、加島地区は約4000世帯ありますが、加島駅ができたということもあって、マンション建設など、駅周辺の開発が進んでいるので、だんだん増えてきているのが現状です。
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「加島地区『街』づくり実行委員会」の成り立ち
旧国鉄の方から「片福連絡線構想」というものが出ていました。学研都市と尼崎を結ぶ線なんです。駅の「仮称・竹島駅」で、これまで「陸の孤島」と揶揄されてきた加島にも鉄道の駅ができるという声があがり、1983年に「加島駅設置要求実行委員会」というものが結成されたのです。加島小学校の体育館で結成大会のようなこともやられたんですよ。
しかし、旧国鉄の赤字等々で片福連絡線の計画が凍結というような状況になり、国鉄が解体されJRとなり、1985年頃JRが片福連絡線計画を国鉄から継承するということになり、1997年11月に「加島地域開発実行委員会」という仮称で会合を持ちました。そして翌年結成趣意書を持ってあちこち町会や団体を回って呼びかけし、1988年12月に「加島地区『街』づくり実行委員会」として結成されました。
これまでは部落の街づくりということで、当支部(解放同盟加島支部)でいうと、1977年に「部落解放地区総合計画実行委員会」というのをつくり、同和対策事業による部落の住環境を中心としながらまちづくりをやってきたのですが、住民参加のまちづくりの必要性はわかってもいました。
解放同盟としての問題意識としては、部落のまちだけではなく、部落を含む周辺の街づくりについても運動の中で必要性や住民参加のまちづくりの重要性については明確になっていましたので結成についても中心的な役割のなかで進めてきました。しかし、当時結成にあたり、やはり部落に対する偏見というものが全くなかったわけではありません。放っておけば、駅設置にともない、乱開発が行われる危惧もあり、部落問題解決の問題意識とともに精神的に結成に向け取り組んでいきました。
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実行委員会の役員構成
加島連合は、現在11町会(当時は10町会)あるんですが、その町会の代表なり、社会福祉協議会の会長、民生委員長、婦人会、婦人部、解放同盟、同和事業促進加島地区協議会というようなメンバーで役員構成をやっています。
だいたい2ヶ月に1回のペースで役員会を開いています。
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活動の概要
設立主旨としては、加島地域の歴史遺産を守るとか、子供から高齢者まで安心して暮らせ、福祉・人権を大事にする、ということです。
結成当初、駅周辺は約10ヘクタールの区画整理事業が計画として進められていましたが、自分たちの意見をまとめ、反映できるようにと行政をはじめ、関係機関とも話をしたり要請したりしてきました。駐輪場に関しても、地下と地上では建設コストにも差があるのですが、地下に駐輪場を整備することによって地上にバスのターミナルやコミュニティーをはかれる駅前広場が整備されたり、開発事業を誘導することによってワンランク上の整備手法を取り入れなどをやってきました。
それと駅名のことなのですが、駅名は「仮称・竹島駅」で通ってきました。これまでの他の駅名にしても、大抵は仮称がそのまま駅名になるか、仮称名と合わせた名称になるかなどですが、まさしく駅ができるのは加島であり、住民の中でも「加島駅」「加島駅」という声が挙がっていたので、そういうことなら実行委員会として動こうということになり、加島住民の駅名署と淀川区の団体署名活動を行いました。
署名は2回やり、1回目は大阪市・JRに提出し、要請を行いましたが、2回目は提出される前に駅名が決定されてしまいました。
結果的には、東西線の全駅が仮称の名称から新たな駅名になりました。住民の要望にあった加島駅と決まり、やれば出来るんだというような気持ちが一つになりました。
活動の財源は、ニュースを出したり学習会をするのに、やはり財源が必要で、当初は区画整理事業とともなう助成を活用していましたが、その助成も続かないということもあり、大阪市のまちづくり支援制度があるということで、この支援制度を受けるか議論をし、1988年から許可団体となり、支援制度を活用しているところです。
しかし、この支援制度も5年間の時限制度であり、早くも3年目に入り期限後の活動財源について考えているところです。
解放運動でいうと「特措置法」も2002年3月をもって期限切れをむかえるわけですが、これからはいかに一般対策を積極的に活用し、また改革・創造していくかという方向もだされており、解放同盟も部落を含むまちづくりを進める上で、この支援制度を導入していこうという方向もあり、これからはどんどん増えていくと思います。
また、一般対策の積極的活用でいくわけですから、地域全体としての柱が必要になり、事業をうまく活用するということが重要になると思います。
現状の活動内容ということで、どうしても役員中心の活動が主になって、とくに駅前周辺の開発が進むにつれ、不動産会社やマンション業者がこういう計画をやりたいということであれば、実行委員会に説明してもらい、工事の安全性や周辺住民の説明などを確認するという承認機関的な様相をもった時期もあったのです。しかし、これではいけない。大阪市の支援制度にも認定され、もともとの実行委員会の主旨でもある住民参加のまちづくりをきちんとやらねばなりません。
基本的な考え方を整理しようと活動の基本理念をまとめました。
【基本理念】
@ 公開性→いつでも誰でも参加できるまちづくり
A 自立性→自分たちが体を動かして創るまちづくり
B 継続性→楽しく長続きするまちづくり
C 人権尊重→互いの違いを認めるまちづくり
これまでなかなか出来なかった学習会についても、コンサルタンを中心にワークショップ(参加型勉強会)や、てくてく探索会(まち歩き)なども行っています。参加者も役員の人たちから自分の町会の方たちに声をかけてもらったりしていますが、なかなか若い層の方の参加がなく、昨年からはPTAの方にも声をかけたり、若い方にも声をかけながら輪を広めていこうと考えています。
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大成功の街づくりフェスタ
学習会を続けていく中で、加島の住民にもっと実行委員会の活動や、まちづくりに興味を持ってもらうにはというようなことを考えたらどうか、という意見を受け、まちづくり実行委員会としてイベントを開催しようということになりました。
時期の問題などを考え、加島駅開業3周年とあわせ、2000年3月20日に加島駅前の民間建設会社が管理している大きな土地を借りて「まちづくりフェスタ」をやったんです。
基本的には、加島の住民の手づくりイベントを主眼においたので、あっちこっちに呼びかけ、出店や舞台発表も加島の住民の方々で盛り上げてもらいました。
当初1000人くらい来たら成功やなと考えていたのですが(資料も1000部くらいしか作っていなかったし)、あけてみたら倍の2000人ぐらいの住民が集まり、大成功で終わることができました。
印象に残っているのは、イベントも終了まじか、役員でもある町会長さんが「ほんまに大成功やな、解放同盟の人ら、ようがんばってくれたわ。ほんまに解放同盟がなかったら絶対できんかったやろう」と言われたのに感動しました。
結成当初は「また解放同盟何しよるんや」というイメージを持たれていたことを考えれば、地道に続けてきたことがよかったなと考えされられました。
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住民参加の公園づくり
区画整理事業の中で、最後の公共施設整備として公園整備が残っています。
その公園も行政主導の公園ではなく、住民の意見が少しでも繁栄できる公園を考えようと、今は公園づくりについて実行委員会として勉強会を進めています。
ワークショップでは、今まで公園に対してそんなに興味がなかった人たちも「こんな公園がいい」「あんな公園がいい」などいろいろ意見が出てきています。勉強会の一つとして、加島にある公園を見て回ろうと「公園を中心に・てくてく探索会」をやったのですが、加島には大小の公園が12か13あるのです。公園一つ考えても、住民の声が反映できるようなモノづくりをしていかなければ、その施設自身が身近なものにならないことを考えされられました。
それには、行政と住民がパートナーシップを持ちながら、まちづくりを進めていく必要も明らかになってきました。
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まちづくりから見えてくるもの
開発が進み、加島の住民が増え、にぎやかになるということはいいのですが、一番問題になるのは学校問題で、加島小学校にはダイレクトに影響をおよぼすことになります。
児童が増えることによる施設改修など、同時平行で考えていかなければなりません。
また、イベントを開催する際、加島の連合子ども会の方と話をしたのですが、子ども会として活動するのに財源がなくて困っているんですよ。何か子ども会で、清掃活動をするといっても社会福祉協議会の会長さんに頼みに行かなければならないなどの話を聞いたりします。
一方、さきほど話したように、部落解放運動の中で、一般対策の積極活用をしようと流れ出で、地域で活動するのに何かいい方策がないかなど考えていくと、大阪市の事業で校下社会福祉協議会が受託することができる小地域ネットワーク事業というのがあります。
障害者・高齢者・子どもを対象にした事業で、上手く使えないものかなど方向が見えてくるわけです。そしたら社協の会長さんもまちづくりの役員でおられるので、一回この事業について説明を受けてみようかということになり、市社協・区社協・大阪市から説明を受け、事業の誘致に働きかけをやったりしています。
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これからの展望
駅前開発がまだ進捗中なので、ちゃんと注視をしていこうと思っています。駅前の開発についても地元住民の意見が少しでも反映されるよう開発会社にも要望していこうと考えています。
ソフト面では、ワークショップなどを通じながら、加島地域全体の住民で考えながら、地域アイディンティティーみたいなのが出来ないかななど、住民が住民として加島を愛せるような夢を描けるようなモデル地区にできないか、というようなことを考えていきたいと思います。
環境なんかでいうと、九州の方で、細かな分別を徹底することによって、スーパーの商品にはトレイもないという、ゴミの減量化をひとつのまちづくりにしている地域があるということを聞いたりすると、加島でもできないものかなどと考えさせられます。
加島全体で環境を大切にする地域にできないか、自然を復活させることはできないものかなど、加島地域住民で新しい文化がつくれないものかなど、いろいろありますが、まだまだ緒についたところなので、将来の展望を定めながらまちづくりを進めていきたいと思っています。
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お話の場
稲見:最初に駅づくりというのがあったから、加島の全町会が関わった。それを目標に始まったのですね。
西岡:そうです。
陸の孤島だと言われていた加島の地に鉄道が通るわけだから、皆で一緒に考えなくてはいけないんじゃないかと。
駅から離れていたとしても関係するじゃないですか。駅から何分といったところに空き地があって地上げがあって開発される、それは一つの町会としては弱いけれど加島全体であれば力も発揮できるし、そんなんで皆が参加してくれました。
稲見:駅をどうするか、それに合わせて加島の街づくりをどうするかというで皆集まる。次には区画整備事業ということで、3丁目の事業が注視され、現在は、駅の進捗状態は見なくてはならないが、全体の街づくり、しかもソフトなところに視点が広がっていってるということになりますね。
西岡:ハードな面もありますよ。不法駐車が多いとか、道路に安全対策ができていないとか。それは一度に変えることはできないから、地元と大阪市など、関係者で話をしながら出来るところからやっていけたらと考えています。
勉強会などでも意見が出てきたら「あっこの道はこんなんや」「こっちの道はこんなんなってる」とか、いっぱい出てきます。でも、ほんとに周辺に住んでいる人から「そんなんせんでええ」と言われたら前に進みませんから、町会長さんに話をしてもらうなり、住民の理解と協力を訴え、住民合意をはかることもよくあります。
行政と周辺住民のとの話し合いの交通整理のようなこともやらなあきませんし、ほんまにハードな意見もいろいろ出てきますが、そればっかりに集中できませんから、できるところから住民の意見を反映させるようにやらなあかんと思います。
稲見:「これからの活動と展望」と「まちづくりの発展」に関わって、今年のこういうことをしたい、そのために2001年のイベントみたいなことは何か考えていらっしゃいますか。
西岡:昨年のようなイベントは、駅開通5周年ぐらいかなとは思いますが、財源の問題もありますから、お金のかからない方法も考えなあかんと思っています。
今は、先ほど話した、住民が関わった公園づくりを実現したいなと思います。公園の機能を全く果たしていない公園についても、加島全体の公園を見ながら、ひとつひとつの公園の位置づけをはっきりし、改修を考えるということも考えていきたいなと思います。
同じ加島の住民であっても、他の町会のことには関心がわかないし、それで、ワークショップで「まち歩き」をすると加島の全体が見えてくる。自分の住んでいる周辺だけでなく、他のところも考えることができる学習会にもなってきました。
また、ハードな面ばかりでなく、住民コミュニティーの大切さなども考えられるようになり、ハード面ソフト面を両立していくことも大切だと考えています。
他:ワークショップに参加する人数はどれくらいですか。
西岡:だいだい30人前後ですね。顔ぶれは、よく参加してる方や初めての方など様々ですね。
ワークショップでは夢のような話もいろいろ出てくるのですが、それはそれで盛り上がることもよくありますね。まちづくりは夢のようなものを実現していく面白さもありますが。
実現をすぐに迫るということもよくあります。とくに年輩の参加者なんかは、「俺が生きても10年やからな〜」とかそんな感じで(笑)。
加島駅は東海道線の下を走っていますので、東海道線の鹿島駅を誘致するという声もよく出てきますが、地元負担も何十億という単位で必要ということを聞いたりしますし、一駅で尼崎ですから必要かということも話に出てきます。
稲見:今は尼崎から東西線に入る電車と大阪駅に行きますから、ここで乗り換えなくてもいいんじゃないかという構造になるんでしょうか。
公園の改修は建設局で予算毎年出ていますが、加島地域でやることになると、やはり1年に1箇所づつですか。
西岡:難しいと思います。
加島のある公園が来年度改修に入るということが情報としいて入ってきたのです。
その公園は狭いにも関わらず、高木が多く、その高木に椋鳥が大量発生して、フンや羽で全く使用できなくなり、近隣の住民は鳴き声や悪臭、羽が周辺を舞うなど、ひどい状態になり、年度内に高木の移設と来年度改修するということがはっきりしてきたのですが、その際も住民の意見を十分に聞いてもらいたいと要請しているところなのです。
駅名でいうと、マンション開発は相当進んでいるのですが、商業施(スーパー的なもの)が全くなく、住民の意見でもよく出てくるのですが、ようやく中規模のスーパー施設が計画されることになりました。
しかし、スーパーだけでは人の流れだとか、まちの活性化にならないので、他の商業ゾーンを設けてもらえるように要望もしているところです。
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| 第1回 |
淀川区加島地区におけるハード・ソフトの街づくり |
西岡 嘉裕(解放同盟加島支部 書記長) |